
春 雷 〜Everything It’s you〜 雨の、アスファルトを走る音が聞こえる。 いくぶん風も強い。 吹いている風の加減で、ときどき雨音は強く、弱く。走ったり、立ち止まったり・・・。 速度を変えながら進んでゆく。 ・・・何処へ旅する? 今は歩けないので彼女は、心だけ窓辺へ向かい、外の様子を見た。身長162センチ、 髪は肩にかかるくらいのロングで、身体の線は華奢だ。 ベッドから抜け、すう・・・っと窓辺に向かう。暗くなってきた空をまず見上げ、今度は街 の様子を見下ろす。すぐ前の道路は、車がやっとすれ違えるくらいの幅で、道路を挟ん だこの病院の向かいは、予備校、地下はカラオケルーム、の小さなビルである。雨のせ いか人影は、まばらだ。その道路を ”H” の横軸として、2本の縦軸は、左手がサン・モー ル、右手が、あいも〜る、という商店街になっている。ここから見える、古くからあった電 気店は取り壊し工事中で、まだ整地されておらず、瓦礫の山だ。街灯に照らされ、雨粒 の一つ一つが映しだされる。赤や黄色の、いくつかの傘の花が、揺れている。再び視線を 上げてゆけば、空は濃紺。奥の奥の、どこか遠いところで、雷がとどろき始めた。この空 に閃光が走るのも、もう間もなくだろう。彼女にとって、建物の色合い、看板の文字までも が懐かしい。 2才半の夏から、この街で20年以上も暮らしてきた。住めば都、決して治安の良いとこ ろではなかったが、それなりに楽しく、快適にやっていた。大きなデパートこそなかったが、 本当に無い店は無いくらいだった。 薬局、スーパー、100円ショップ、家具屋、ケーキ屋、喫茶店、衣料品、パン屋、ファー スト・フード、居酒屋、カラオケ、ラーメン屋、美容院、手芸店、写真店。 たいていのお店はここにあった。 (長いこと暮らしてきたけれど、こうして見つめることはなかったよね) そう心で呟くと、瞳を閉じ、深呼吸をした。カメラのフラッシュのような青い光が窓を射し、 轟音が響く。 (春雷・・・もうすぐ冬も終わりだ) そろそろ、ベッドへ戻ろう。 病院は駅の近くで、商店街と商店街の間にある。救急病院だが、商店街のはずれにあ り、その立地条件や規模からも、大病院というイメージはない。よく、どこそこの病院がい い、とか名医だとか、入院設備が豪華で思い出に残る、などと話題にもなるけれど結局 地元がいい、と思えた。 (まぁ、前もここだったのだから、よしとしましょう) 4階建ての、少し古びた建物を見上げ、つぶやく。他人(ひと)には、そう説明するけれど、 いろいろ考えた末の選択だった。 1階ロビーのエレベーターから3階まで上がると、左手に2台の公衆電話。目の前がすぐ 廊下で、左手奥がナース・ステーション。そこから右側に病室が続いている。エレベーター から15,6歩で308号室。入り口のネーム・プレートは6枚。そこには彼女の名前も書か れていた。 飯塚幸乃(さちの)様 6人部屋のドアから入ってすぐ右側のベッドに彼女は、いる。 雨音の遠いところから、雷が鳴り響いていた。 |